寄稿 「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」

屋敷 建夫

 
   

 自分が生きてきた道程をふりかえって見ると、師を求めながら歩んできた人生のようである。私にとって、「良い師を捜して、師の教えを請う」ことは、私の生きがいになることだった。


 小谷野敬一郎氏は、『昔の教育は、師が全てであった。良き師を求めて、捜して、その師のもとで学ぶのが一番大切なことであり、この時代の教育といえば、「第一に道徳であり、人格形成であった」と。現在は、おもかげもなくなったと嘆かれている。「教育の目的というのは、子供達を幸せにすることです」と。』明言されている。哲学です。


 清水安三氏は、「学而事人」(まなんでひとにつかえる)を座右の銘として、学問のために学問するのでもなければ、教養のために学問するのでもありません。人に奉仕するために学問すべきである。学問に限らず、すべては自分の利益に行うのでなく、人に奉仕するために努力すべきとした。

 師を求める、歴史的な人の言葉を捜してみると、
 森信三氏は、「人はすべからく終生の師をもつべし。真に卓越せる師をもつ者は、終生、道を求めて留まることなく、その状、あたかも北斗星を望んで航行するが如し、いくら行っても、到りつく期になればなり」と言われ、一人の人間が出来上がるうえで、最も重要な三大要素として、「血・育ち・教え」を上げている。


道元禅師は「正師を得ざれば学ばざるにしかず」と言い。吉川英治は、「我以外皆我師」と小説の中で言う。人生は学校である。学ぶ心さえあれば、どこでも、誰からでも、何からでも学ぶことができる。と!

 新渡戸稲造は、「自分を生んでくれたのは父母である。自分を人間たらしめたのは師である」と言っています。しかし、この世に生を受けて、幼少時に確固たるしつけを父母などより受かられたら、人に対する接し方は、師を求める方法論は自然と備わってくるものと思う。

 童門冬ニ氏は、以前勤務していた時、時代の流れで、人員削減の目的で、希望退職者を募った時、希望退職者に応じてくれる人は少なかった。この時、目立たない津田さんという職員が、「私を辞めさせて下さい」と申し出てきた。彼は、自分なりに真実一路の道を辿って、出会いを大切にしたいと思っている方でした。 父の蜜柑山を引き継いで、初生りの蜜柑が送られて、手紙が同封されていた。
彼は、「私にとって、一番大切な生き方は、この世で、出会って本当に良かったなと思う人の発見でした。あなたのような方は、今の勤めに絶対必要です。」といって、童門冬ニ氏は、津田さんの「人間は、生きていく上で、何を一番大切にしなければいけないか」という考え方に胸を打たれたと言っています。

 シラ書に、「身なりや笑うときの口の開け方、その歩きぶりはその人の人柄を示す」と言う言葉がある。一見して、身なりや、笑うときの口の開け方などは、個人の直感によるものがあり、その直感力は、人に対する注意力・観察力を養って始めて生かされることで、幼少時より自然に学ぶものと考えられる。これには、森信三氏の言う、「血・育ち・教え」が必要になってくる。人をみる能力のないものが「身なりや笑うときの口の開け方、その歩きぶりはその人の人柄を示す」を見て判断することは難しいと考える。単に直感で判断されることになる。

 受験戦争を終わって、有名大学に入っても、レールに敷かれた授業を受け、「本当に学びたいものは何か」を考えるゆとりもなく、大学の集団生活を送るようであれば、大学はなんだと考えざるをえない。大学は、叡智を学ぶ場であり、「師」を探す場であると思う。
 大学を出て、社会の組織の中にはいると、生涯学習の目的を持って、互いに相手の立場に立って、良いところ、悪いところを是正し合い、互いに成長して行くものと思うのである。

 童門冬ニ氏は、都庁で企画調整局長を努め、当時、三百人の部下を①言わなくてもわかる部下、②言えばすぐわかる部下、③いくら言ってもわからない部下の三つに分けて苦しんでいました。或る時、禅僧に相談して、禅僧より「一期一会」について教えをいただいた。

 「朝、たとえば会社に行って、おはようございますと言った相手がどんなに顔馴染みでお前の言う嫌いな相手であっても、そのとき初めてこの人と会ったんだなというフレッシュな出会いを感じる。これが一つ。

 二つ目は夕暮れに仕事が終わって、さようなら、お疲れ様と言うとき、もう二度と会えないかもしれないと思いなさい。つまり朝はフレッシュな出会い、夕暮れの別れは緊張感をもった別れ。そして、緊張感を持った別れから逆算した朝のフレッシュな出会いという意識があれば、勤務時間中の八時間かそこらの間には必ずお前だって三通りの人に出会っていることがわかるはずだよ。①学べる人、②語れる人、③学ばせる人の三通りだ。

 学べる人というのは師、語れる人というのは友、そして学ばせる人というのは後輩とか部下とか子供とか、こういう人。しかもその関係は、固定的ではなくて始終移動する。

 たとえば今年採用したばかりの若い職員が職場に駆け込んできて、『出勤の電車でこういう経験をしました。これは課長がかねてからおっしゃっていた、我が社の危機のケーススタディになるんじゃないですか』と言ってお前を感心させたとする。このときの課長は、新規採用の社員を指導する立場でなくて、教えを受ける立場になっている。上下関係がひっくり返っている。こんなことは、八時間の間にいろんなケースがあるだろう。それが本当の一期一会だよ」と、こう言われました。

 そして「お前は考えが足りない。だから死ぬまで苦しみなさい。はい、お終しまい」と、こういうことです。

 局長になったとき、この禅僧の言うような気持ちがあったらなと、つくづく思いました。しかし、後悔先に立たずで、これは死ぬまで苦しまなきゃいけないと思っています。と述べられています。

 組織を維持していくことを実践されてきた、松下幸之助氏は、2・6.2の法則について述べられています。

 社員について、2割の出来る社員・6割の普通の社員・2割の出来ない社員がいて、会社や組織を改革できる人2割、その2割にくっついて行く人6割、あとの2割はそっぽを向いている人でバランスがとれているという。
 どんな集団にも2・6・2の法則は成り立つということである。組織に貢献しない2割を除去しても、残ったものの比率は、同じように2・6・2になるという。2割のエリート言われる貢献する人だけを集めても、同じような比率になるという。蟻や蜂で実験してみると、蟻でも自分より下位の者がいるから「自分は頑張る」あるいは「生きがい」になって、下位2割の集団はこの意味で「無用の用」をなしていると言える。

 結論的には、良い師を捜して、その師のもとで学ぶことが大切であるが、自分にあった師を選ぶために、自分の「志」、自分の目標を定めること、そして目標を達成するための道を捜し求めて、師に何らかの方法論を指導していただくことが、自分にあった師を選ぶことである。


 一方、師となる指導者にとって最も大事なことは、「最高の熱意である」と松下幸之助氏は言う。
 「熱意こそ、ものごとをなしとげる一番の要諦」

 「なんとなくやりたくない、という程度では事は、なるものではない。なんとしてもこれをやりとげようという熱意があってはじめて知恵も湧き、工夫も生まれてくるのである」

 「熱意に関しては誰にも負けないものを持たなければならない。知識なり、才能なりにおいては人に劣ってもよいが、熱意については最高でなければならない。指導者に、ぜひともこれをやりたいという強い熱意があれば、それは必ず人を動かすだろう。そしてその熱意に感じて、知恵のある人は知恵を、才能ある人は才能をといったように、それぞれの人が自分の持てるものを提供してくれるだろう。指導者は才能なきことを憂うる必要はないが、熱意なき事を恐れなくてはならない」

 そして、そのような師は「いちばん謙虚で、だれよりも感謝の心が強いように思われる」と松下幸之助氏はのべている。
 

 師も、その弟子もお互いに相通ずるものがあるようである。

 

【参 考 文 献】 
森 信三:修身教授録 致知出版社
童門冬ニ:男の論語 上  PHP文庫
柿沼英樹:2:6:2の法則に関する一考察
松下幸之助:指導者の条件 PHP文庫

 

平成25年6月12日 文責 屋敷 建夫